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炊き出しの記

夕方からは追善山である。

昨年亡くなった山笠の功労者を、舁き山が訪れて追善の意を表す。

山笠というと勇壮なイメージが先行するが、私はお汐井取りと並んで、この追善山が

好きだ。

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昼過ぎから、流れのあちこちに故人の写真を掲げた祭壇が作られてゆく。

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葬儀とは違って、この時の祭壇には、しめやかさよりは晴れやかさが漂う。

知人の祭壇にはお参りさせてもらう。

額縁の中の、山笠法被を着て微笑まれる慈顔に懐かしさを感じる。

一生を終えた人に対しては、たとえ生前は対立したことがあったとしても、感じるのは

懐かしさと優しさ、それのみである。

こうやって、自分自身も年を取ったことを思う。

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山がやって来る。

祭壇の方向に向き直る。

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1トンの山と台上がりした人たちを乗せて、90度向き直るのは大変だ。

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台の上から舁き棒の上に正座で進み出て、町総代が口上を述べる。

亡き○○様の追善の為に来ました、と始まって、故人の山笠に対しての献身を称える。

口上が終わると、皆で「祝いめでた」を歌う。手拍子付きである。

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そして、博多手一本で手締め。


見ていて思うのは、これはたいへんな名誉である、ということ。

大勢の人が動かす山笠が、故人のためにやってくるのだ。   

現代社会では、お金のために行動することが当たり前である。

しかし、長いあいだそうではなく、名誉のために人は動き社会の為に尽くして

生きて来たのではないか、そう思った。

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今年の追善山は5軒。

みなさん、お疲れだったろうが、故人の魂はさぞや喜んでいると思われる。