トムラウシ山 2
朝、目覚めると静かである。
「降らなかったんですね?」
「いや、夜中に2回ほど激しく降ってましたよ」
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熟睡したようだ。 どんな天候なのか、外へ出てみる。
空はいちおう曇っており、なんとか持ちこたえそう。
水場へ顔を洗いに降りてゆく。
雪渓の端から雪解け水がほとばしる、そこが水場。
きれいな水だが、キタキツネの寄生虫がいるかもしれず、加熱しないと飲めない。
でも、洗面には差し支えないだろう。
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冷たい。
歯を磨いているうちに目が覚める。 さて、これからの日程はどうしよう?
小屋へ向かって登ると、朝日が差して明るくなっていく。
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難しい判断だが、このまま進むことにする。
ただし、トムラウシを越えていくのはやめて、途中に荷物を置いて空身でトムラウシに
登り、戻ったのち、ほど近いテントサイトで宿泊する。
翌日は、ただ一つあるエスケープルートを下って、最初の目的地とは違うところへ
降りる、という案である。
長大な尾根を下るこの道は時間がかかるが、天候が悪化しても危険度は少ない。
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今日は大雨警報。 別働隊の2人はその中を下ってゆくが、大丈夫だろうか。
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私たちには予備日があるので、こういう時でも焦らなくてよい。
日程をゆっくり取るのは大切なことだ。
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尾根へ上がると、トムラウシが再び見えてくる。
心配したほどの天候にはならず、だんだんと視界も開けてくる。
山は天候次第。 どうやら恵まれているようだ。
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今回は、久しぶりの旧友3人が揃った。
学生時代、若さにまかせてあちこちへ行った3人である。
大学は違うものの、同い年のよしみで親しくつきあった。
「ネパールであなたは高山病になって」
「私の目の前で滝から落ちたでしょう」
「借りたピッケル、とっても切れ味がよかったよね。今でも覚えてる」
「ああ、あれね。この前出してみたら錆びてたわ」 「えっ勿体ない―」
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懐かしの追憶を暖めながら登る。
皆人生の戦場をそれなりにくぐり抜け、落ち着きはじめた頃である。
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「必死の毎日」が終わりはじめた頃、Kさんと私は山を再開した。
Sさんは、好きだった音楽を始め、リコーダーのグループに入った。
しかし今年になって、「今やらなきゃもう登れなくなる」と思い始めた。
山に呼ばれたのだろう。
そこからトレーニングを始めての今日である。
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だんだんと、周りの風景が変わってきた。
岩がゴロゴロとしていて、荒涼としているけれども美しさのある領域へ入ってゆく。
そしてたくさんの池塘(ちとう)。
綺麗な所ねー 別世界。
美しいと思ってきた北アルプスよりずっときれいで、壮大である。
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地形学をやった一人が解説してくれる。
この下の土は永久凍土で、夏に融けては凍るの繰り返しで、構造土など面白い地形が
できたのだそうだ。
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ゆっくりする間もなく通り抜けるのが、惜しい場所だった。
山上にこんな美しい所があって、少数の者だけに眺めるのが許されている、そのことに
感動を覚えながら通過してゆく。
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山頂に取り付く。
大きな岩を乗り越えて行く、結構な難路だ。
荷物がないからいいものの、背負っていれば難儀したろう。
ようやくたどり着く。
遠かったねー でも来てよかったねー
お茶を沸かして飲み、充実感を味わう。
山に登るのは、この充実感があるから。
だから、きつくてもまた登る。 いや、きつくなければ味わえないのだ。
生きていることをしっかりと確認できるひととき。
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それぞれに 重ねし旅路も 背に負いて
青き山なみ 友と越えゆく
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北天を ひしゃくの星は回りたり
テント静まる山上の夜
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帰ってから次のような文を読んだ。
トムラウシは、自然がつくった至上の楽園だ。
大雪山の最も奥深い場所に位置するため、労苦をいとわない者だけが
たどり着ける山であり(略) この山は、大雪山系だけでなく、全国の山の
なかでもきわだった存在なのである。
そう、トムラウシは特別な山だった。
そこに居る時すでに、ここは特別な山、と心が語っていたではないか。
幸せな夏だった。
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王冠型のあの特別な山に、また行くことはできるだろうか。