9月がやってきた
休日にじっとしていることは稀である。
雨さえ降らなければ、そして風邪でもひいていない限り、必ず外に居る
先日訪れたのは、山あいの田園。
9月になったばかりというのに、ここでは黄金色の田んぼが広がっている。
田のそばに、お地蔵様がいらっしゃる。
たくさんの花を供えられ、お顔もちょっとお化粧されたお地蔵様。
素通りすることができなかった。
こんなにお世話されているのはどなたなのか、人柄が偲ばれる。
村の入り口にも、きれいにお化粧されたお地蔵様。
こうやって、昔から今まで代々受け継がれた信仰。
丁寧に暮らす日常あってこその信仰であることが、見ているだけで分る。
ここには、畏れがある。
畏れの感情を失ってはいけない。 つくづくと、私たちは傲慢になってしまった。
豊葦原の瑞穂の国。
葦原はとっくに減ってしまったが、田んぼの稲穂だけはまだ豊かだ。
何百年にも亘って多くの手数をかけられて存続している、この美しい田園。
自然の中で、自然を畏れつつ営まれてきた、先祖たちの生活。
言葉はなくとも、多くのことを語りかけてくる風景を前に、私は沈黙するしかない。
・・私も丁寧に日々を暮らそう。
足の向くまま車を走らせると、いつか山道を登って行く。
行き止まり。
ここに、清水の湧き出す水汲み場があった。
水神様が祀ってある。
今日はどうも、土地の神様にご縁があるらしい。
ちゃんと榊が供えてあって、小さな社は人家のかたちをしている。
誰が作ったものか、陶器製だが素人離れした出来栄えである。
賽銭箱に100円入れて、水を汲ませていただく。
近くの人らしいおじさんが先客で、こんにちはと挨拶された。
ご挨拶し返して、手持ちのペットボトル3本をいっぱいにする。
清々しい場所、知る人ぞ知る、そんな水場だった。
帰りに寄った道の駅。
私はこういうお店が大好きで、野菜や何かをいつも買い込んでしまう。
今日は新しいものを見つけた。
長さ7〜8センチの短くて縞模様の茄子。
フェアリーテイルと名札がある。 妖精のシッポ?
手に取ってはみても、食べ方が分らないと皆置いてゆく。
好奇心強い私は、文句なしに買う。
どうやって食べるか、考えるのが楽しいんでしょ。 これが料理の醍醐味よ。
さて、帰る途中考え考えして、油で素揚げしてマリネにするのはどうだろうという結論に
なった。 きれいな色を生かすのに、これが良いのではなかろうか。
こんなふうに。
酢のしみ込みがいいように、後から二つに裂いてみた。
柔らかでキメの細かい、茄子らしくないお味だった。もちろん美味。
少しは丁寧な生活に近づいた??ちょっと違うかしらん。
9月は始まったばかり、さあ、待ちうけ体勢は充分である。