色川 武大
沈鬱な冬がやってきた。
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太平洋側とは違って、福岡の冬は晴天が少なく、どんよりと曇っていることが多いのだ。
山へ行きたいが、天候に恵まれない週末が多く、仕方なく家に沈潜して読書となる。
以前読んでいた伊集院静の流れで、色川武大を読んだ。
阿佐田哲也という別名で「麻雀放浪記」を書いていて、そちらも有名である。
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とても優しい人だったという作家仲間の評判がある。
伊集院氏は、共に旅をしながら競輪をやる最中、子供の頃より悩まされた幻覚症状に
襲われ、色川氏に救われて完治したと書いている。
優しいだけで、人を危機的状況から救えるとは思えない。何か激しい所を過ぎ越した、
そんな経験を持った人ではなかったのか。
誰からも慕われる、卓越した優しさを持っておられた、その点について知りたいと思って
「麻雀放浪記」にいたるまで何冊か読んでみた。
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どうやったら人間は、そんなに優しくなれるのか。
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育った家庭の厳格な親子関係、つまらぬ事で停学になって上の学校へ進めなかったこと、
体格的なことからくる劣等感、そこに戦後の社会環境も加わって、
賭け事で身を立てるしか自分にはないと考えつめ、時には地下道で寝たり
勝って殴られたりもする「無頼」の生活を送り、怒涛の青春を過ごしてきた人である。
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「誰にも愛されないってことは、かなり辛いことなんだな」と作中にある。
「一番烈しい生き方は、誰にも馴れずに生きることでなあるまいか」
賭け事が生き方ともなる人にとっては、ひりひりするようなその最中こそ、燃焼する生を
実感する、ということなのだ。
誰にも馴れず、一人博打で生きようと、戦後の混乱の中で身すぎしてゆく。
そのような人は、その頃ほかにも居た。
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「獣みたいに他人の喰い残しを突っついたり雨風ん中でも一人ですごさなきゃいけねえ。
だが月給取りにあんなすばらしい晩があるか」
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人一倍繊細な感受性を持った上での無頼な生活とは、どういったものだったのだろう?
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後年、「離婚」で直木賞を取る。
たまたま、受賞直後に単行本となったこの本は読んだが、その時の私の好みでは
なかった。
今いくつか作品を読むと、その表現の的確さというか、本質への細やかな迫り方、
寄り添い方、表現力に凄さを感じる。
悩み抜く経験なしには書けないであろう、文章力である。
その、悩み抜いた欝々としたものを感じ取って、若い頃の私は不健康なものを
忌避したのだと思う。
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氏はまた、ナルコレプシーという病にも悩まされており、何かやっている最中にでも
突然深い眠りに落ちて、しばらく目覚めなかった。
病気からくる幻覚もしょっちゅうで、「ゆうべ寝ていたら、キリンが次々に身体の上を
通っていった」と言われた佐藤愛子は、返事のしようがなかった。
健康な人には理解できない辛い経験をしていることに、劣等感に人一倍悩まされたことが
加わって、誰にでもこの上なく優しいと言われる人柄を作ったのではないだろうか。
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人には理解して貰えぬ、従って口にすることもない様々な種の苦しみが、
この人を優しくした。 その優しさで救われた人がいた。
すごいなあ、人間って。
読後感はそれである。
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また麻雀放浪記の最後で、登場人物に「一人で博打を打って気ままに生きたいのさ。
俺みてえな人間は、どこかのやくざの組織にでも入って辛抱すりゃ、その方が出世する
かもしれねえが、合唱はしたくねえんだよ。 合唱しねえんだったら意地は張り切れねえ
よ。 世間から逃げ出すことだよ―」と語らせている。
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戦後すぐの時世とはだんだんと違ってきて、豊かになり始めた社会に、単独で博打を
打って生きる人間の居場所はなくなってくる。
やくざの組織に入って生きるしかなくとも、それを拒んで一人生きてゆきたい人間は
どこへ行けばいいのか。
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昔は、雲水となって放浪する生き方もあった(例え命の危険と隣り合わせであっても)
が、今の世で、そういう欲求を持った人はどうして身を保つのか、そう思いつつ本を
閉じた。