阿弥陀尊像
わが家の仏壇のご本尊は古いものである。
お寺の住職さんが、法事のあとで「お宅の阿弥陀様はうちの寺のお内仏より古いですよ。
うちのは痛みが出ていたので先日京都で修復してもらいました。」
「お宅のも急がれたがいい。今度京都へ行くときに預かりましょう」と言われたことが
ある。
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残念なことに、その後ご住職は病気になられ、しばらくするうち亡くなられた。
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ずっと修復の事は気にかかっていたのだが、機会のないまま20年近くが経って
しまった。
今は両親も亡く、私が仏壇の世話役である。
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先日、ふとしたことで訪れた友人の寺でそれを思い出し、話してみた。
あのね、裏側に「文如」ってサインがあるの。
10年以上前貴方に、この方いつ頃の人?って聞いたら、100年以上前の本願寺の
宗主だって言ってたよ。」
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友人は、そのことをきれいに忘れていたものの、その場で表装屋さんに電話をして
くれた。
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その後、表装屋さんにくだんの仏画を見せた。
「これは良いものです。」
「こういうものはふつう在家にはありません。お寺のものだったのでは
ないでしょうか。」
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「えっ。」 驚き。
「あのう、祖父が富山の出身なんです。 富山の実家から持ってきたんだと
思うんですが」
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「ああ、それなら分かります。あちらの方ではそういうことがあると聞いたことが
あります」
「九州では在家にこんな立派なご本尊はありません」
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へえ、そうなんですか。
まあ、お寺から貰ったり強奪(?)したのものではないことが分かってホッとした。
今はネットで調べることができて便利である。
文如という宗主は、在位期間が短く書かれた時期の特定がしやすい。
1790年から1800年くらいの間のようである。
100年どころか200年以上が経過している。 フランス革命直後くらいか。
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それで、修復はどんなになさるんですか?
「表装をやり直します。これも100年とは言わぬくらい古くて痛んでいます」
「絵の具がだいぶ剥げていますが、これは書き直さない方がよいでしょう」
「書き直すと、全体のバランスが崩れて、なんか変なふうな絵になってしまうんですよ」
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この間のやりとりで、この人をすっかり信用している。
お願いします。
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そんなに立派なものとは思いませんでした。
よく見たら、着物のあたりにも細かい線描きがありますね。
「これは金で描いてあるのです」
うへー 200年前の酒井家の先祖がどんな人だったかは不明だが、信心深かったのは
確かなようだ。
一体どれだけの富を、貧しい中でご本尊につぎこんだのか。
むろん、どこかの時に、買い求めたものかもしれないが。
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かくして阿弥陀尊像は、昔から、仏壇の奥にただぶらさがっているものとしか承知して
いなかった不信心ものの子孫に、その価値を知らしめたのである。
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この機会に、裏に書いてある字についても尋ねてみた。
「真ん中には、方便法身尊形と書いてあるのです」
これも後日調べたが、阿弥陀仏は姿かたちを見ることができるものではないが、
人間が信仰を持つための方便とし、て仮に姿を取って現れたもの、というような
意味のようである。
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仏画は尊いが、絵そのものを礼拝してはならない、そういうことなのだろう。
小さい頃から見慣れていたこのご本尊に、さまざまの深い意味合いが隠されて
居たことに、今はただ驚いている。
古いものが家にある。 そういうと、お宝かもしれないよ、鑑定団に出したら、とは
よく言われることだが、金額に換えることなど出来ないものが存在する、そう思う。
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