お盆
お盆の時期に、昔からの友人のご主人が亡くなった。
突然の病気であっという間に悪くなられ、友人にとっては悪夢のような夏だったと思う。
数年前、もう一人の友人もご主人を同じ時期に亡くした。
事故だった。 当然、心の準備をする間もなく。
人生の苛酷さに、言葉は見つからない。
私たちが出会ったのは、ある山岳会の新人募集の集まりだった。
3人ともはたちの盛り。
すぐに意気投合して、いろんな山に行った。
卒業前には、ネパールヒマラヤでトレッキングを楽しんだ。
ツアー会社などなかった当時、自分たちですべてを手配した楽しい旅だった。
若い時の友人は価(あたい)高い。
心の柔らかい頃に話し合ったあれこれ、共に齢を重ねつつきた越し方。
遠く離れていても互いの心がつながっていることは、確認せずとも知っている。
私たちは、友人である以上に、仲間なのだ。
何の仲間なのか、それは今まだ明らかには分らずとも。
数年前も今回も、私にできるのは一人涙を流すこと
そして、彼女がはやく立ち直れるよう祈ること。
亡くなった人の魂は、山の頂に行くというそうだ。
美しい信仰である。
古来、故人の魂はふるさとを見下ろす山の上にあって、子孫を見つめ幸福を祈る、
そう考えられてきたらしい。 そしてお盆や彼岸には、子孫のもとを訪れると。
私たちの亡くなった家族が、今どんなにしているかと
私たちの様子を伺いにやってくる、そんなお盆の頃
亡くなった人達の魂が平安であり、残された人たちの魂にも平和があるように
そう祈るばかりである。
数年前の時は、秋になって彼女から写真添付のメールを貰った。
「だいぶ元気になりました」
「母が持ってきてくれた葡萄に、こんなのがあったのよ」
ハート型の葡萄! 「あなたは愛されている」というメッセージ!
そのとき、私のつたない祈りは聴かれている、と思った。
まだまだ元気には程遠かったようだが、少しでも慰めになったのなら嬉しい。
辛いお盆の頃。 早く再会を喜び合えることを祈るばかりである。