大菩薩
2回目のサークル同期会で、大菩薩嶺へ。
山梨県内に降り立つのは何年振りだろうか。 車窓からの風景はさほど変わっていない。
新緑の山と、田植え前の水を張った田んぼ、鯉のぼりがカラカラと音たてて泳ぐ家々。
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改札を出ると、いたいた、懐かしの顔が。
おおーい、こんにちは。
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ええっと、今からちょっとハイキングです。
明日に備えて足馴らしをしましょう。
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これはお寺だろ、鳥居があるから
違うよ、鳥居は神社だろ、何言ってんだ
と、若者みたいな会話をしながら甲斐の国の史跡を歩き、丘に登る。
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塩山温泉の、古びた宿で宴会。
今年は、卒業以来のメンバーもいるので、改めて自己紹介をする。
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―‐10年前にガンになって、オレ死ぬのかなと思ったら、やりたいことをやろうと
いう気になったんだ。
それで会社を辞めて資格を取って、コンサルを始めました。
ちょっと体力的にきつい部分もあるんだけど、若い起業家から感謝されてやりがいが
あります。
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―‐仕事でシンガポール・シャンハイ・成都と、あちこち行きました。
ここ数年は国内にいるんで、今は年間100日山に入っています。
もう300名山を制覇しました。
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―‐40過ぎて大学院に入り、博士号を取りました。
今はいくつかの大学で、英語を教えています。
大学院の費用は夫に頼らず、自分で日本語教師をして貯めたのよ。
皆さんより遅いスタートだけど、社会人になりました。
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皆、ここへ来るまでにいろんな道を通って来ている。
私はごく平凡です、という人も、決して平たんな道ばかりではなかっただろう。
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最後は山の歌。
青春を ともに過ごせし われら居て
夕餉はなやぐ 新緑の宿
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そして、部屋に戻っても日本酒を飲みながらおしゃべり。
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俺たち、いい時代に学生だったよなあ。
ほんとうに。
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社会は活力に満ちており、管理されない大学の中で自由に過ごした。
ナホトカまで貨物船で行って、シベリア鉄道に乗り継げば、ヨーロッパに安く行けると
語り継がれていたし、アフリカ大陸を一人バイクで縦断した女子学生もいた。
私も、鎖国しているチベットに、いつか行きたいと夢見ていた。
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日本も世界も、あれからずい分と変わったのだ。
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翌朝は大菩薩峠から大菩薩嶺を目指して歩く。
標高差300メートルであるからたいしたことはないが、今の私たちにはお似合いだろう。
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富士山が見事!
やっぱり富士は、日本一。
おい、遅れるとバテてると思われるぞ、早く行ったがいいよ。
そんな会話をまじえながら、好天の登山路を快適に歩いた。
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大菩薩嶺。もう来ることもないだろうと、証拠写真を撮ってもらう。
「もう来ることもないだろう」、これは最近、時々思うこと。
それゆえにひと時ひと時が大切である。
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最後の峠に着く。
ここでも富士山が美しく迎えてくれる。
おい、記念写真とろーぜ!
旗は私が思いつきで作った。
思いつきであるからヘタクソだ。
次はもっと立派なの作ってくるから!
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あっという間に別れの時。
昨年は西と東に分かれたが、今年西へ行く電車に乗るのは一人。
また会おうねー
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来年は福島方面。 という予定。
みんな、元気で。
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テント出て 頭上おほえる星空に
うち泣きし君 われ皆若し