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2017年08月28日

谷川岳追想

  いつかある日  山で死んだら

  古い山の友よ  伝えてくれ

  母親には  安らかだったと

  男らしく死んだと  父親には

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この歌は、深田久弥訳詞で、ヒマラヤで遭難死したフランス人登山家の詩がもとになって

いる。

ちょっとセンチメンタルな詞とメロディーで、高度成長期に山を目指した、ロマンを

求める若者の間ではけっこう歌われていたと思う。

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東京へ行くことがあったので、谷川岳へ登ってみた。

ロープウェイを使ったお手軽登山だが、谷川の頂上に立つのは数十年振りで、

はからずも過去の事をさまざま思い出す旅となった。

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  友よ山に 小さなケルンを

  積んで墓にしてくれ  ピッケル立てて

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5番はこのような歌詞であるが、属していた山岳会で3人が同時にアラスカの山で

亡くなることがあり、追悼のためにここにケルンを積んだのだ。

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私もその頃は体力的に充実していたが、ザック一杯の大石を背負っての登山は

かなりきつかったと記憶する。

急傾斜で有名な尾根を、何時間か掛けて登った。

石の角が背中に当たり、痛い思いが続いた。

皆で背負ってきた石を集め、セメントの粉を水筒の水で溶いて固めた。

持参したワインかウィスキーをかけたような気もする。

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あのケルンはどうしたかしら、と見まわしたが、たくさんあったはずのケルンは一つに

まとめられ、巨大な石の山となって、その頂上に石の祠が置いてあった。

ここは魔の山、と言われたほど、一ノ倉沢での事故が多かった山である。

岩壁の登攀中に転落したり滑落したり、多くの若者が亡くなった。

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アラスカでの事故のほかにも、合宿中に亡くなった大学の後輩、山岳会の後輩たち、

そして、下宿までさせてもらって慕っていた先輩と、私の友人も、多くが若い時に

遭難した。

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若いうちの突然の死は、無残である。

肉親の大きな嘆きが、そこにはあったと思う。

今も共に山へ行く友人はこの頃の仲間であるが、このような仲間の死を意識のどこかに

背負い、口には出さずとも互いの共通体験としている。

そうして私たちは、無事にここまでの人生を重ね山へ行くのだ。

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頂上から東を望むと、懐かしい白毛門(しらがもん)が見えた。

本格的な冬山は、ここで味わった。

積雪を踏み分けながらの登山は、体力を消耗する。

厳しい登りを続けてテントを張り、零下の寒さに眠れない夜を過ごして、目覚めた朝は

嬉しい晴れだった。

ピークを踏んだあと、新潟県側に下りた。

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積雪期は、道がなくとも歩けるのが良い。

小さな沢沿いに下ってゆき、だんだんと沢の幅が広くなった頃ちいさな山あいの集落に

出た。

その沢沿いの一軒の家の中に、花嫁さんがいた。

たぶん自分とそう年ごろの変わらないだろう若い花嫁は、うす暗い部屋の中で角隠しを

し、ひっそりと高い椅子に座っていたように記憶する。

あの集落は今もあるのだろうか。

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谷川岳のピークは二つあり、奥の「オキの耳」が高いので、そこまで行ってみる。

目がくらみそうに切れ落ちた尾根を、ピークから覗きこむ。

東尾根である。

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12月の、雪が積もり始めた時期に、ここを登ったことがあった。

確かヘルメットをかぶり、ザイルも誰かが持っていたような気がする。

女性で初めてマッターホルン北壁を登った、著名な人と一緒に登ったのだった。

知己はなかったので、誰か友人が誘ったのだろうが、記憶はあいまいである。

あの方はその後、ご無事でいらっしゃるのか? もの静かな方だったが。

 (あとで調べたところ、そのあとマッターホルンで亡くなっておられた。上に書いた、

   尊敬していた先輩も、女性登山家の草分けとしてネットに出ていた)  

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様々な昔のことを思い出す、頂上での時間だった。

回顧は年老いてきたしるしなのだろうか?

しかし、山の自然は昔と少しも変わらない。

いつまでも変わらぬ、その山が好きだ。

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2017年08月10日

夏山

日本で高山といえば、3000メートル以上の山を指す。

そのうちいくつ登ったか、とある時考えて、あと数座で登りきることに気づいた。

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それからである、意識し始めたのは。

年をとってからでも登れそうなところは後回しにして、少しづつ行くことにした。

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学生の時に深田久弥は読んでいたが100名山については知らずじまい。

それでも、富士山は偉大なる通俗、というその言葉は胸に響いた。

当時は若く、すべてが山中心の日々。

1年に何日山へ入るか、などということへ意識は向いていて、合宿は1週間ほどの

縦走が中心。

尾根を歩いて山々を経巡ることが喜びなのに、一心に登れば下るしかない富士山は、

山とも思えなかったのだから、若気の至りとはそういうものなのか。

とうとう登らずに仕舞っている。

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それはさておき、今年は「年をとっても登れそう」と取り置きしていた山へ、その順番が

ついにやってきて行くことになった。

2年ぶりにテントをかついで、南アルプスへ。

テントは重いが、張ったらそこで定着して、軽い荷物での登山である。

年をとっても行けそうと踏んだのは、それゆえだ。

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沢の音を聞きながら眠れるロケーション、ここにテントを張る。

数日間睡眠不足が続いたので、明るいうちから昏々と眠る。 いくらでも眠れる。

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翌日の登りはきつく、筋力の衰えを痛感することしきりだったが、心に緑風が吹き込んだ

ごとく、おおいにリフレッシュした。

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千丈岳、3033メートル。

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高山植物の盛りは過ぎているが、それでもイワギキョウが爽やかに揺れていた。

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写真は撮れなかったものの、登りの森林帯で見た小型の鷹、ツミ。

そして、足元のすぐ先で砂浴びをしていたライチョウ親子。

私たちを喜ばせてくれる相手に事欠かなかった良き山だった。

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あと残る3000メートル峰は、富士山、御岳山、乗鞍。これだけである。

乗鞍は、まだずっと後でも行けそうだし、御岳山はご承知のごとく入山禁止。

こうなると、富士山の位置がだんだんと重みを増してくる。

今年は無理でも、いつか行くべきか。

人が多いのは、ほんと嫌なんだけど。