アンティーク洋食器
今朝の出勤途中、ミモザの花芽が黄色くなっているのを見つけた。
今から寒が本格的になろうかという時期に、もう春の用意が着々と進められている。
なんだか、ボンヤリと日を過ごしていてはいけないような気分を揺り起こされた。
やってくる寒さに思いとらわれるだけではなく、そのあとに必ずやってくる
春のことを忘れずにいよう。
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私は最近、一目ぼれで古い額を購入した。
ドイツ製のアンティークで、陶板に描かれている。
IPHONEで撮るとコントラストが強く出てしまうが、実際にはもっと優しい色調である。
小さな額なのに、細かく描かれたその線は素晴らしく、
引き込まれるように買ってしまった。
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もっとも、ちょっと前から古い洋食器に惹かれてちょこちょこ買い込んでいるのだ。
亡くなった両親も古いものが好きで、タケノコ生活をみんながしている戦後、母が
古物屋を買い物の帰りに覗いて、良さそうな物が出ていると祖母に報告し、
お金を持った祖母が買いに行く、ということをやっていたようだ。
母にはお金を使う自由がなかったのだが、見るのは好きだったのだろう。
父も、海外へ行くとあれこれ買い込んできた。
普請道楽で、建て増しをしょっちゅうやっていたのも、それを収納するための
場所作り、ということだったのかもしれない。
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だから家には古いガラクタや多少ましなものと、いろんな古物が飾ってあって、その中で
育った私も骨董類は嫌いではない。
しかし、引っ越す時に、これらのものの処分には苦労した。
宗教性の強いもの、大きなものは子孫を苦しめるから、割れればおしまいの陶器に手が
伸びたのかもしれない。
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コーヒーが好きなので、デミタスカップを買った。
100年以上前のドイツ製である。
カップ類は、紅茶の国イギリスで大変素晴らしいものが作られてきたようだが、花を
きっちり様式化したイギリスものより、写実に徹したドイツの作りが好きだ。
手のひらに軽く乗ってしまう小ささなのに、詳細まで手を抜かず描きこむ、ドイツ職人の
技術と丹誠に打たれてしまう。
6個セットがすべてカップも皿も絵違いという細かさで、朝これでコーヒーを飲むと、
良い気分になる。
道具って大事だと思うのだ。
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いちばん最初に購入したのはこの皿。
立派すぎて飾り皿で終わりそうだが、実際に使えるものをこれからは手に入れようと
思う。
皿の中央。
この技術のすばらしさに、驚愕に近い感動を覚えたのだ。
1900年前後は、ヨーロッパの磁器業界が最も栄えた頃だという。
優れた職人が多く集まっていたらしい。
今だったら、車メーカーやIT産業に優秀な人は集積しているのだろうが、この頃は
それが磁器業界だったということなのか。
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もの造りを侮ってはいけない。 作った人の魂がこもっているのだ。
100年が経過しても、その素晴らしさは褪せることなく、私を幸福感で満たしてくれる。