春の国東
川端商店街の親睦旅行で、国東を久しぶりに訪ねた。
前夜は別府温泉泊(ここも何十年ぶりだったか)。 楽しい夜を過ごした。
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長老から、昔あんたのお父さんはネ、とみな自分の知らない親の話を聞き、驚いたり笑ったり。
小雨降る露天風呂から別府湾を望み、大いに日頃の憂さを忘れた。
年齢は違ってもみな商店主であるから、苦労も喜びも共通している。
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さて国東は石造文化の地である。
いろんな形の石造物。
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詳しいことはさっぱりだが、見ているだけで面白い。
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見ざる聞かざる言わざる、の3体の猿が掘ってある石造物は、あちこちで見られた。
庚申塚であるらしく、メンバーの内でも若い二人が「俺達猿年生まれ」と興じている。
「どうして庚申の年にだけこんなもの作るの?」と問いを発してみたら、早速スマホで
調べていたが、庚申の年には災害が多かったとか。
災害を避けようという、祈りの塚であるのだろう。
川の中にも石に彫られたお不動様が。
また、巨岩をくりぬいてはめ込んだような木造寺院があちこちにある。
「どうしてわざわざこんなことしてお寺を作るのかね?もっと開けた土地の方が造り安かろうに」
みんなの感想である。 ほんとになぜわざわざ?
ちょうど最近、比較宗教みたいな解説本を読んだばかりなのでそれを思い出した。
・・・神道はアニミズムである。
どこの国でも、人類が発生するとアニミズムがまず生まれる
そこでは自然と人間は調和し、自然の背後にいる様々な神を拝んでいればすむ
日本は先進国としては珍しく、こういう信仰が現在まで続いている
しかしたいていは、異民族の侵入や戦争で社会も自然も壊れてしまい
アニミズムでは人間の疑問に答えられなくなる
「これほどの不条理はなぜ」という問いに。そうやって世界宗教が生まれたのだ。
また、日本人がモノ作りに長けているのは、上記のことと無関係ではない。
自然崇拝からは、物にスピリットが宿るという考えが生じ、物を作ることは尊ばれる。
私自身、店舗内装の取引先から、「職人が一生懸命作ったものには命があるんです」と
聞いたことがあり、その言葉に感動したものだ。
だから、こうやって巨岩に仏を刻んだり、くり抜いて寺を入れることも、岩に神が宿るから、
なのだ。
そして、神仏習合が自然な形でちゃんと残っているのが国東の地である。
お寺の境内には必ず神社が設けられていて、永く続いてきた日本人の信仰とは
こういう形だったのだ、とすなおに感じられた。
他国から攻め込まれたことの少ない島国に住み、自然を崇拝しつつ田畑を耕し続けてきた
日本人の精神の底には、アニミズムである神道と、無神論(創造神を認めないという意味で)
である仏教とが何の不自然もなく融合していて、柔和な世界観を作っている。
そのことを確認した、国東の旅だった。
みなさん、また旅行ご一緒しましょう。