誕生日
誕生日を、旅先のホテルで迎えることにした。
以前から気に入りの、湖のそばの、何もない所に建つ小さなホテル。
携帯も通じない、テレビもない、でもご飯が美味しくてもてなしが上手なところ。
窓を開けると森と湖が見えて、夜は真っ暗な闇となる。
夕食開始、レストランの窓の外はまだ明るい
生ビールがおいてないのが、唯一残念。 グラスワインを頼む。
一品一品、サービスを受けながら食べる心地の良さ。
日頃とは全く別世界にいることが、一番のご馳走である。
ここでは、パンをこのようにして出す。
ナプキンの下には皿があるわけではなく、テーブルクロス上に直接置いてある。
焼きたてのパンが湿気ることを防ぐ、心遣いなのだろう。
客がお酒をちびちびやって、パンに手がつかなければ、ウェイターがやってきて
パンをナプキンでくるんでしまう。
まあ、そうやってもいずれ冷えてしまうとは思うが、気遣いは嬉しい。
コースが終わりかける頃、窓の外にはたそがれがしのび寄る。
良き色合いになってゆく戸外を楽しみながら、ゆっくりと味わう楽しみ。
どんなに酔っ払っても、階段を上がればそこは自室。 ベッドに倒れこむだけだ。
子育てと仕事に追われ続けた若い日、こんな誕生日がいずれやってくるなんて
想像がつかなかった。
幸せを満喫する。
窓の外は、あっという間に暗くなってゆき、室内が窓ガラスに映りはじめる。
デザートが出て、ゆっくりとした時間も終わった。
満足とともにディナーを終え、つい「今日は誕生日なの」と言うと、ワインはサービスして
もらうことになった。 わぁ、ありがとう!
翌朝は雲ひとつない晴天で、新しい日の始まりがまぶしい。
さて、また一つ齢をとったか。
願わくば、良き人との出会いが今後もあるように。
人生は、人とのつながりで出来上がってゆくから。
帰ったら、お花が届いていた。
6月は、父の命日・祖母の命日・自分と次女の誕生日、と記念日が多い。
お花は、以前の社員であった人からの、父の命日へのお供えだった。
亡くなってから24年になる。
生きていれば99歳、毎年お供え下さる人も、かなりの年齢のはずだ。
電話の向こうで、「私が生きている限りは供えさせて頂きます」とおっしゃる。
こういうのが、人とのつながり。
生きている間に、金銭勘定を外れたところでのつながりを、いくつ作れるか。
そう考えながら、一つ齢を重ねた。