祖母の懐剣
遠縁の若者が、久しぶりに訪ねてきた。
懐かしく話しているうちに、自分が祖父母や祖先のことを何も知らないと気づいたようだ。
うわ〜俺何にも知らんかった。
○○小母さんが元気なうちに聞いておくといいよ、そう助言しながら
私も祖父母のことを思い出した。
姉が小さい頃に大病をしたため、私は母方の祖父母に預けられて育った。
城南区の別府、今は住宅地だがその頃は田んぼの広がる田舎だったそこで、私は
のびのびと幼年時代を送った。
祖父には厳しいところもあったが、祖母は慈愛に満ちた人だった。
今も懐かしい祖母は、山口・光の出身で、毛利藩の足軽だった杉本という家に生まれた。
槍の師範だったと聞くが、明治となって失職したわけで、おそらく苦労していただろう。
娘ばかり3人の長女だったが、母親の死後父親が再婚したため、17歳の若さで
福岡へ嫁にやられた。
同居した姑は、もと黒田藩の御殿女中だったとかで、裾長の着物を一生涯
お引きずりにしていた人で、仕えるのには苦労が多かっただろう。
脳梗塞の後遺症があったので、お風呂にも背負って入ったと、祖母から聞いたことがある。
しかし、昔の苦労話などはほとんどせず、いつもまめまめしく働く人だった。
嫁入りの時に持ってきた懐剣が、私の手許にある。
刃は錆びており、柄(つか)も古びてはいるが、家紋まで入って立派なものである。
細工がしてあって、何やら模様が浮き彫りになっている。
どうやら水仙のようだ。やはり女持ちであるから、花の意匠にしたのだろう。
毛利の刀師が鍛え、細工をしたものか。
いつもは仕舞い込んでいるが、折にふれて見ると祖先に思いがゆく。
母の末の妹は、光の実家に祖母が帰るとき伴われたこともあって、記憶している。
海岸そばの松林で、松露を箒で掃いて採ったなどと、戦後生まれの私には理解不能の
よき思い出のようだ。
祖母が亡くなったのは大晦日で、そのとき私のお腹には長女がいた。
この長女ももう30歳を過ぎていて、小さいころのことも遠い昔になってしまった。
でも、今でも思い出せば胸熱くなる、優しい祖母やあの古い家。
幼い頃とは、大切な時代である。