« 2011年03月 | メイン | 2011年05月 »

2011年04月06日

桜咲く

日本中を重い空気が覆う中、いつもと変わらず桜が咲き始めた。

桜は日本人の好きな花。 桜を見ると、誰しも心が和む。


桜を詠んだ歌は多いが、私が好きなのはこれ。

  もろともに あはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし                                                         
                                           (行尊)

百人一首の札には「大僧正 行尊」とある。 

大峯で修行中、山中で思いがけず桜が咲いているのを見て詠んだ歌だ。


行尊は三条天皇の曾孫。 貴族であるが10歳の時に父が亡くなり、12歳で出家した。

17歳で寺を出て、大峯・熊野といった修験の山で修行を積んだという。生涯で8000日入山。


貴族が寺に入ることは多くても、そこまでの修行をするとは尋常ではない。

道を求めずにはいられない、生きづらさ・魂の乾きがあったのだろう。


ここに歌われた感動は、花見の莚から見上げるのとは違う、肉体を酷使した者にのみ

与えられる「美への感激」である。

私の登山は趣味、行尊のは命がけの修行であるから、とても同列には言えないが

ひそやかに山中に咲く山桜を見て、「ああ美しい」と、身にしみるように思った経験はある。


 ひとの住む里のけしきになりにけり 山路の末のしづの焼け畑 
                                                  
                                             (行尊)

焼畑は今はないが、この歌も実感するところがある。

長い山道を下ってきて足は痛み、ようやく人里がみえ始めた、あの感じ。

                                                        ・

いくつかの歌を一読して感じるのは、静かな哀しみが底に流れていることだ。

きつい修行は身につき、病気平癒や物の怪退散、といった大いなる成果を挙げて、

「験力無双の高僧」として何人もの天皇からの尊崇を受けたらしいが、

この人の詠んだ歌には、権勢や驕りは少しも感じられない。


  われが身は木の葉とともに散り果てぬ 峯の嵐ぞゆくへ知るらん

  数ならぬ身をなにゆえに恨みけん とてもかくても過ぐしける世を

また、西行は行尊の名を書いた卒塔婆を見て、同じ大峯山で歌を詠んだという。

   (「花よりほかの」とありけむ人ぞかし、とあはれに覚えて詠める)

  あはれとて 花見し峯に名をとめて  紅葉ぞ今日はともにふりける

「花よりほかに知る人もなし」と孤独を詠まれたことに対し、「今日は紅葉が共に」と

歌いかけたところに、西行の優しさがある。


久しぶりに本を取り出し、遠い昔に生きたひとの人生を思ってみるのもまた

花のころの楽しみ。


  ・・・・・・・・

空ではハイタカが飛ぶ。 大陸へ帰るのだ。

ひっそり咲いた桜の上を、誰見るともなくタカが帰る。

これを観る私も孤独のうち。

sakurahaitaka_R.jpg

やがてハイタカは海の上にかかる

haitaka.jpg


春の海は柔らかい色だ、心も柔らかく溶けていく。